他の人を愛しても他の人でしかありません

嵐ファンの社会人が書くブログだよ!

失うものと、失ったもの

失うものと失ったもの。我ながらもっと上手いタイトルがあったのではないかと思うが思いつかなかった。失うものは「I will lose」、失ったものは「I lost」と考えていただきたい。

 

「時は金なり」、「若さはお金では買えない」。これらはどちらも昔からある言い回しである。私の人間力?が足りなかったからかもしれないが、この言葉の意味することが最近何となくではあるが分かり始めた。

私は今、学生と社会人の節目の時期を迎えている。人生のモラトリアムとか人生の夏休みとかそんな風に言われる4年間を過ごしてきた。話が少し逸れるが、私は卒業式大好き人間である。入学式よりも断然卒業式の方が好きだ。入学式はまだ勝手も分からず右往左往戸惑うが、卒業式は完全に自分のテリトリーで行われるからだ。加えて、次のステップに進むという希望に満ち溢れており、これほど素晴らしい学校行事はない(修学旅行や文化祭よりも…)、と私は思う。しかしながら来月行われる卒業式は憂鬱でしかない。理由は火を見るよりも明らかである。それは次のステップに希望の欠片も存在しないからである。卒業式を終えると社会人となり、平日は基本的に毎日働くことになる。となると、今まで「平日は倍率低いからコここに申し込もう!」ってなってたのが、「土日しかコンサートに行けない…」となるのは精神的苦痛を被る事態であることは言うまでもないだろう。こうして私は来月いっぱいで「学生」という身分を失う。

 

行きたいと思ったコンサートに行ける。これはチケットや交通手段などが手配出来れば誰もが当たり前に享受出来る物だと考えていた。それが私の思い上がりも甚だしかったのだ、ということに気が付いたのは去年の下半期のことである。ある日私は健康を失い、自由に出かけられない病に罹った。学生最後のツアーとなるであろう11月からのツアーを心待ちにしていた矢先の出来事であった。ツアーには行けないかもしれない、と思うと目の前が真っ暗になった。本当はもっと他に心配しないといけないことがあるのだが、オタク精神の下で私は第一にこの心配をした。結果的にはツアーに参加することが出来たのだが、いつ何時また病に罹るかは分からない。健康は何よりも大切であると痛感させられた。「若いから大丈夫」と思うのではなく、若くても何かしらの体調不良があれば、病院に行かないといけない。嫌なことであるが、回り回ってそれが自分を助けることになるのだ。かくして私は健康を失った。

 

失うものと失ったもの。どちらも取り戻せるものではない。「誰かと付き合う」という行為だって、結婚しなければ最後にはその大切な人は失うことになるし(どんなにラブラブでも別れるよねww)、結婚しても死ぬときには大切な人を失う。結局人間は常に何かを失い続けながら生きている。上手く付き合っていくしかないのだなと思った。